永福寺(ようふくじ)跡-国指定史跡

史跡

鎌倉宮から瑞泉寺へ行く途中に永福寺跡があります。

この場所には、鎌倉時代に源頼朝が建てた永福寺という大寺院がありました。しかし応永十二年(1450)に火事で焼失し、その後ながらく土に埋もれていました。

昭和五十八年から発掘調査が行われ、当時の伽藍の配置や苑池が復元されました。

現在は史跡を活かした公園として整備され、広場でお弁当を広げる家族連れや散歩の途中で休憩する方などが訪れていました。

永福寺について

文治五年(1189)の奥州藤原氏を滅ぼした奥州合戦で亡くなった源義経・藤原泰衡(ふじわらのやすひら)をはじめとする多くの戦没者の供養のために、源頼朝が永福寺の建立を発願したと伝えられています。

健久三年(1192)から造営が始まり、二年後には主要な伽藍が整ったとされています。

庭園の中心には南北約200m、東西約70mの池があり、そこに幅が約5m、長さ約35mの橋が架けられていました。その奥に東を正面とする二階堂が建ち、両脇の阿弥陀堂と薬師堂に広い廊下でつながる構造でした。

この庭園は極楽浄土を再現した浄土式庭園とよばれるもので、壮大な伽藍と合わせて当時の人々を驚かせたそうです。火事で焼失してしまったのは何とも残念ですね。

また、永福寺は頼朝、頼家、実朝などが和歌や蹴鞠を楽しむ別荘としても使用されていたようです。

頼朝は義経や泰衡の怨霊を恐れていたといわれていますが、その鎮魂の場所を別荘として楽しんだ心境はなかなか理解に苦しむところです…

永福寺Data

住所鎌倉市二階堂209
行き方JR鎌倉駅東口 
5番バス乗り場から大塔宮行き
終点「大塔宮」下車 徒歩5分
開園時間4月~10月 9:00~17:00
11月~3月 9:00~16:30

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